ぜぇぜぇと自分の口から鳴る音に目が覚めた。
目が覚めて、息苦しさに気付く。
息をする暇もなく、げほげほっと咳が漏れた。
最悪だ。
苦しいともがきながら思う。
こんなつもりじゃなかった。
そう思う思考すら掻き消すように、げほっげほっと大きく体が揺れる。
苦しい。
喉と肺が焼けるように痛い。
寝たままの状態では余計に苦しく、上体を起こそうとするが、満足に動けない。
かひゅっと喉が鳴る。
苦しい。
息が、できない。
喉が締め付けられ、逃げ場を失った空気が肺を圧迫して気持ち悪い。
呼吸が満足にできなくて酸欠になってるせいか、吐き気がする。
だめだ。
咳き込んだ勢いで、げぇと胃の中のものがベットに飛び散る。
「は……はぁ……」
苦しい。
気持ち悪い。
息ができない。
もう、だめだ。
ガチャリ
とドアが開く音を朦朧とする意識の中で聞いた気がした。
***
俺の体は半人半魚。
半分は人間。半分は海人族と呼ばれる人魚の血が流れている。
簡単に言えば、俺は人間と人魚のハーフだ。
そんな俺は昔から、呼吸器が弱かった。
本来であれば掛け合わせてはならない禁忌の子供。
それくらいのことは俺でも知っている。
本来であれば陸でしか息ができない人間と、水でしか息ができない人魚を掛け合わせて生まれてくる子供にまともな呼吸器が備わっているわけがないことなど容易に想像がつく。
今になれば、子供の頃から続く、喘息に近い症状は、それゆえであったと気づくのは、そうそう難しいことじゃなかった。
とはいっても、子供の頃はそれに気付く由もなく、咳き込んでは息ができなくなり、酷くなると酸欠のせいか嘔吐するまで咳を続け、吐いては咳をし、また吐いて、吐くものが無くなり、意識が薄れても、気絶することはできず、炎症を起こしてぜぇぜぇと喉から零れる息に、苦しい夜を何度も繰り返した。
俺が発作を起こす度に母さんは水の中から俺を心配することしかできなかった。
俺も俺で、心配させたくなくて、よく無理をしていた。
今でこそ、人間の形態を保てている俺だけれど、当時は、人間と人魚をいったりきたりするような生活だった。あの頃はまだ、そうあれた。
人魚の姿の時に発作が起きると最悪だった。
息を吐くこともできなければ吸うこともできなくなる。
最終的に水から出たとしても、人魚の姿では満足に息ができず、酷く苦しんだのを覚えている。
それに比べて、人間の姿でいる時は幾分かまだマシだったように思う。
とはいっても、発作は発作で軽いわけではなく、陸では嘔吐が酷く不快だった。
あまりに咳が酷く、何度か吐瀉物を喉に詰まらせ、鼻も喉もふさがったときは流石に、俺も意識が保てなかった。あれでよく生きていられたものだなと思う。
たぶん、母さんが助けてくれたのだろうと思うけれど、記憶にないので分からない。
その後、不死身になっても、この症状と縁を切れず、今なお、時々こうやって発作を起こす。
人魚の姿にならず、人間の姿を保てるように調節したのもこの発作故だった。
自分では、どちらに思い入れがあるなどなかったが、とにかく、俺の体は水と相性が悪かった。
人魚の姿でいても、呼吸器が人魚向きになっていないのかとにかく息苦しさが続くことが多く、結局、どちらかと言えば人間の姿の方が息がしやすかったのもあり、こちらの姿で安定させる他なかった。
といっても、結局人間としても呼吸器は不完全なのだろう。
疲れやストレスがたまるとすぐに息が苦しくなる。
不死身が疲れやストレスで死にかけるとは何とも笑えるなと思うが、俺は多分、一生この症状と付き合っていくのだろう。
20歳も近づき、年齢故か、いくらか無理が効くようになったとはいえ、完全に症状と無縁になることは無理だったらしい。
近頃は発作も少なく、何ともないと思っていたが、何ともないことはなく、ひどく久しぶりに起こした発作はひどく苦しかった。
***
「……ラ。カーラ」
ぜぇぜぇと胸が上下している。
誰かが俺を呼ぶ声に目を覚ます。
「大丈夫か?」
「っは……っ。さ……ぁ?」
問う声に答えようとしたが、息絶え絶えでまともに声が出なかった。
「無理にしゃべらなくていい。とりあえず、そのままおとなしくしてろ」
と、冷たい指が俺の額を撫でる。
綺麗な紫色の瞳が俺を見ている。
ふんわりと花の香りがする。
あぁ。そうか。
ここは、サラの部屋か。
と自分の置かれた状況に気付いた。
息苦しい意識の中、周りを見渡せば、俺の部屋ほど質素ではない部屋が広がっている。
どうやら、サラは俺を自分の部屋まで運んで来たらしい。
ベット、汚してたもんな……。
気を使ってくれたのかもしれない。
「昼間、咳こんでたから、まさかとは思ったが、やっぱり体調悪かったんだな。お前」
「そ、なこと……は」
ない。わけがなかった。
実は昼から結構苦しかった。
けれど、サラやほかの人間に悟らせたくなく、無理をした。
無理をしても大丈夫だと思っていたが、ダメだっただけで、こんな風に発作を起こして倒れるつもりはなかった。こんな風になりたくなかった。
ストレスは溜まっていないわけではなかったし、こうなる可能性を考えなかったわけではなかったけれど、どうしてもそうなることを考えたくなく、大丈夫だと意地を張っただけだった。
げほっげほっとまた喉が鳴る。
熱い。苦しい。
喉を押さえる。
焼けるように熱い。
ひぃひぃと口から嫌な音が出る。
それを見かねたのか、サラは俺の胸をゆっくり擦る。
「あたしは、鈍感だから、体調が悪いなら悪いって言ってくれないと困る。お前はよくそうやって、前触れもなく、体調悪化させるんだから、少しは自分の身を大事にしろ」
発作で涙腺が緩んでるのか、じんわり涙がにじんでくる。
こういう時にそういうことを言わないでほしい。
いつもいろいろとなんとか保とうとしている、いろんなものがはがれ落ちていってしまいそうだ。やめてほしい。
「俺、ふ、じみ、だから、だい……じょぶ」
と無理に笑ってみたら、頭を叩かれた。
「お前、それ、あたしの前で二度と言うなって言ったよな」
「は……はは」
笑えない。
本当に。まったく笑えない。
サラはどうしてそんなことを言うの?
俺は不死身だよ。
どんなに苦しんだって、どうせ死にはしない。だから、心配するだけ無駄なのに。
どうして……、俺が、一番、言ってほしくて言ってほしくないことを言うんだ。
「お前なぁ。自分が不死身だからってなんでも無理すればどうにかなると思ってるのかもしれんが、あたしはお前が急に倒れたり、いなくなられたら困る。お前も知ってる通り、あたしはお前がいないと何にもできないからな」
「そ、れ……、じ、まん、する……こと、じゃ、ない」
言葉なのか息なのか良くわからないながらに吐き出す。
サラは心配そうに俺を見て、そして、笑った。
「あたしの言葉に文句を言えるくらいにはマシになってきたな。といっても、本当にこれ以上はしゃべらなくていいから、あたしの一人言でも聞いてろ。反論しなくていい」
サラは俺の満足にできていない呼吸に合わせて布団越しに胸を撫でてくれる。
それで幾分が呼吸の仕方を思い出してくる。
ただ、喉も痛く、肺も痛く、咳は続くので、されるがまま、言われるがまま、俺は息を吐く。
「昔、この部隊を作ったばっかりの頃。あの時もお前、ずっと咳してて、大丈夫かって聞こうとした時には吐いてぶっ倒れて、本当に驚いたな……。あたしは、お前ほど頭が良いわけでもないし、お前が考えてることたぶんほとんど分からない。分からないけど。時々でいいから、その心配ごととか、悩み事とか教えてくれよ。あたしは頼りない隊長かもしれんが、聞くくらいはできるし、頼りになるか分からん脳を働かせてお前と少し悩むくらいはできるだろ。無理にしろとは言わないけど。ただ、お前は本当に唐突に体調悪くするし、何か起こすのも唐突だし、何があるにしろ、お前はいつも唐突なんだよ。少しでいいから、あたしにも何か伝えてくれ。それともそんなにあたしは頼りないか?」
と、紫の目が俺を見る。
世界から嫌われる、綺麗な目。
サラに見つめられるのはむずむずして苦手だ。
隠したいいろんなことがばれてしまいそうで。
だから、ふいっと目を逸らしたくなる。
今は、息苦しさでそんな余裕はないんだけど。
だから、サラの問いに俺は首を横に振る。
そうじゃない。
サラが頼りないわけじゃない。
俺が、俺自身の持っているいろんな悩みとか心配事とかが口に出すのも憚られるほど醜いから。
サラ自身を傷つけてしまう可能性を秘めているから。
俺が無慈悲で無情な人間だとばれてしまうから。
そういうのが嫌だから、俺は何も言えない。
サラのことは信頼しているし、だからこそ、嫌われたくない。
きっと俺はサラが思うより、ずっと汚くて、臆病だ。
情けない。
本当に、こんな自分が嫌になる。
体調不良からくる熱からなのか、ボタボタと涙が目から流れ落ちていく感覚にギョッとする。
もはや、理性で留めておけないくらいには、体が限界だったのかもしれない。
「カーラ?」
お前、泣いてるのか? とは聞かれなかった。
代わりに優しく微笑まれた。
笑顔なんて似合わないなんて言う彼女で、実際、笑おうとしたら怖い顔になる癖に。
こんなときに見せる顔があまりに綺麗な微笑みで、何も言えない。
そんな顔で見ないでほしい。
俺は……その顔に返せるだけのことができていると思えない。
げほっと咳が漏れる。
だめだ。難しいことを考え出すと咳が止まらなくなる。
やめよう。
げほげほと連続して漏れる咳に俺は考えることを諦めた。
サラは今もなお、俺の呼吸に合わせて、布団を撫でている。
なんだか、あやされているような気持ちになる。
いつだったか。
母さんにもこんな風に優しくされたような気がする。
はぁ……はぁ……と息が漏れるけれど、幾分か呼吸が落ち着いてくる。
落ち着いたせいか、布団越しに感じるサラの体温と優しい手つきで眠気がやってくる。
落ちそうになる瞼の隙間から見たサラの顔はやっぱり優しくて、安心した。
***
「カーラ、寝たのか?」
あたしが自分の部屋から出ると、アスカルと亜華里がリビングの机に向かい合って座っている。
「あぁ? なんだお前ら。寝てなかったのか?」
と悪態をついてみるが、2人は顔を見合わせてると、笑った。
「昼間から体調悪そうやったもんな?」
「あれで気づいてないと思ってるならカーラも大概だな。それと」
アスカルはあたしの方を見ると、呆れたと言わんばかりにため息をついた。
「それを心配してるサラもね」
どうやら、2人とも、カーラが体調が悪いことも、あたしがそれを心配して、一日いろんなことに身が入らなかったことも気付いていたらしい。
気付いていて、こんな夜更けに寝もせず、外から見守っていたらしい。
「お前ら……。趣味悪いぞ」
あたしは頭を抱える。あー。ほんと趣味が悪いな。
「仲間想いって言ってくれよ」
「仲間想いなら、カーラがこうなる前に助けてやれよ」
自分ができていないことを棚に上げながらアスカルに愚痴る。
アスカルもそれができないからなのか、はははと乾いた笑いしか返ってこない。
分かっている。
それくらい、カーラが体調を隠すのが得意すぎることも、下手に心配をすると余計に隠して無理をしてしまうことも。
だからこそ、今日のように発見が遅れて、あいつ自身を苦しめてしまっていることも。
「ほんと、不甲斐ないよなぁ……」
亜華里の横に座り、頬杖をつく。
体調が悪そうだと思いながら、結局、あいつがあんな状態になるまで手を差し伸べられなかった。
本当に不甲斐ない。
「まぁ、それに関しては、別にサラが悪いわけやないけどね。こいつやって、本当に体調が悪い時こそなんも言わへんから、性質悪いで。この間も……」
と亜華里がアスカルを睨みつけている。
あたしが知らないうちに何かあったらしい。
「それはほんと、悪かったって言ってるだろ……。それを思うと、カーラがいろいろ無理しがちな気持ちも分からなくはないけどさ……」
「やって。サラ、どう思う?」
何が、どう思うって話だ?
「男は何かとそういうのを隠したいってことか?」
「いや、そういうわけじゃないけど。ほら……心配かけたくないって意地張っちゃうっていうか……。僕とは事情は違うだろうけど、カーラは体のことでなおのこといろいろと気を張ってるんだろ。それ自体もストレスかもしれないしな……」
アスカルもあたしと同じように頬杖をついてため息をついた。
結局、ままならないものだ。
あたし達がたとえ、カーラを心配しようが、たぶん、あいつはそれを悟らせようとはしないだろうし、ここで三人で何を言い合ったところで、カーラのことを深く理解できるわけでもない。
どうせ、憶測になってしまう。
あたし達がこんなに気を揉んでいることを、あいつはきっと知っている。
知っているからこそ、余計に悟らせまいとしているんだとも思う。
本当にままならないな。
「結局、お前らみたいにあたしも見守るくらいしかできないってことか」
そんなことしかできない。
けれどいつか、あいつにとって、少しでも気を張らずに、あんな風に苦しむことなく、息が吸える場所があれば……と願うことしかできない。
可能であれば、今、あたしの横に座って、一緒に心配しているこいつらや、あたしの前でくらいはそうであったら……。
そう、願うのだった。
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