世界防衛機構エルピスには禁書と呼ばれる蔵書も多く保存されている。
基本的には閲覧不可、持ち出し禁止の書物だ。
事情はいろいろある。
たとえば、宗教的、イデオロギー的に問題があるとされているもの、人権を無視した禁術近い技術が記されたものなどだ。
あとは、今となっては戦争により失われ、あまり多く冊数が残っていない紙の本、稀覯本などを保存名目で禁書扱いしていたりもするらしい。
この組織は、ありとあらゆる国の支援の元成り立っている。
そのため、支援をしてくれる国から隊員に目を通してほしくない本などの指示もあるのかもしれない。
要するに、この組織に属す者にあまり見られたくない本がエルピスのライブラリーには存在する。
今時、本などという古い保存資料に目を通したい奇特な者もそんなにいないため、禁書が保管されている場所に足を踏み入れたがる人間などほとんどいない。
しかし、そんなものに興味を持つ人間がごく稀にいる。
あたし――今となってはガーナと名乗る人物はそんな一人であった。
組織において、賢いというのは、それだけで不利である。
これはかつての実体験でよく学んだことだ。
組織において、賢いというのは、馬鹿と同義である。
いや、組織において、馬鹿であることは、有利である。というのであれば、同義と言うのは誤謬がある。
そうだな……。
組織において、賢いというのは、愚かである。とでも言うべきだろうか。
組織において、重視されるのは、利用価値があるかどうかだ。
賢いというのは、それだけで、利用価値があるように思えるが、これは間違いだと言っていい。
なぜなら、組織は馬鹿を、おつむの足りない奴を、脳筋とでも言えばいいか? そういう者を望む。
要するに組織の頭の望む通りに動き、それに疑問を呈さない者を望む。
そういうことを理解しつつ、動ける聡明さは求めるが、でしゃばる頭の回る奴はいらないのだ。
出る杭は打たれる。
賢さをひけらかし、組織を脅かすことをする者は組織から消されても文句は言えない。
組織を脅かしているのだから、当たり前だ。
つまり、組織に属す以上、賢いということは、それだけで不利である。
であれば、馬鹿のフリをした方が賢明と言えるだろう。
頭の良さの使い方は大事なのだ。
一歩間違えば、組織そのものに牙を向けられるだろう。
それは、かつて、自分がそういう目に遭ったが故に学んだ処世術だ。
あたしはかつて、Genius(天才)の名を冠した兵士だった。
齢10もしない少女が兵士でしかも天才だなどと笑わせてくれるが、実際そうだったのだ。
そうして、天才を冠する頭の良さで、組織を脅かした結果、すべての逃げ道を封じられた状態で、家族を殺し、友人を失う羽目になった。
我ながら、呆れるのだが、あたしは賢さで世界を変えられる、誰もが救えると信じていた。
愚かだったのだ。
知恵を持っていることと、波風立てず利口に振る舞うことは違うのだ。
それを手痛い犠牲を払い、学んだ。
だから、私はただの馬鹿な子供のフリをして、エルピスに潜り込んだ。
二度と、あのようなヘマをやらかさないために。
そして、嫌味のない程度で頭角を現し、あたしは世界防衛機構エルピスのドラゴン育成施設の管理を任されるまでの地位を獲得した。
これら全てがあたしの計画の内だとはあの総長は思わないことだろう。
これも全て、この組織の禁書を見るためであるなどとは夢にも思わないだろう。
そう振る舞ってきたつもりだ。
だから、今のあたしはこの組織に存在する禁書を読む許可を総長からもらうことができた。
あのアジェン総長は、その程度にはあたしを組織に役立つ馬鹿であると認め、かつ、信頼してくれたらしい。
組織において、賢いというのは不利だ。だが、振る舞い方さえ身につければ、賢さほど武器になるものがないのもまた事実だった。
あたしは、その賢さを最大限に利用して、組織に役立つ馬鹿を演じられているようだった。
そして、今日もライブラリーに通っている。
この組織の禁書を閲覧するために。
最初にも述べた通り、基本的に禁書は閲覧不可の持ち出し禁止の書物だ。
しかし、アジェン総長はあたしをよほど評価してくれているらしい。
誰にも見せないよう管理するという約束で持ち出しても良いと、持ち出しを許可してくれた。
馬鹿過ぎず、利口過ぎない子供だと、アジェン総長にアピールできた結果だろう。
というわけで、ライブラリーから、いくつか本を持ち出し、ドラゴン育成施設――あたしの城へと戻ってきていた。
「ただいま。奏」
返事をしないドラゴンに声をかける。
かつて、あたしの友人であったモノに言葉をかける。
今は言葉すら交わせない。
あたしと彼は、ただの飼い主と飼われる動物の関係だ。
彼はせいぜい、動物らしく唸り、鳴くくらいのことしかできない。
人間としての記憶や理性があるのかすら、あたしには分からない。
それでも、彼が人間として知性を残していると信じて、今なお一緒にいる。
あたしの、罪、そのものだ。
あたしがあの頃に今のような振る舞いを覚えていたら、彼はこんな惨めで惨たらしいドラゴンの姿になんかならずに済んだ。
あたしが愚かだったせいで、彼をこんな姿にし、二度と言葉を交わすことすらできなくなった。
全て、あたしのせいで。
だから、あたしはこの組織に入った。
彼を人間に戻す方法を手に入れるために。
それが、禁書を求める理由だった。
「今日も本、借りてきたよ」
答える言葉もないドラゴンに声をかける。
彼はほんの少し重たそうに顔を持ちあげると、小さく鼻を鳴らした。
言葉を喋れない彼が実際にどう思っているのか知らないが、「そう」と返事をしたのだとあたしは解釈している。
本当に身勝手だと思う。
本当に身勝手だ。
喋れない彼をこんなところに縛り、今なお一緒にいさせている。
そして、勝手に彼の気持ちを分かった気になって。
本当に自分は身勝手だ。
彼を人間に戻すため、などと言っているが、本当は自分が自分の犯した罪を償いたいだけなのではないかと思う。
彼がそれを望んでいるのかすら、あたしには知ることができないのだから。
それでも、彼の言葉が分からない以上、あたしはそうすることしかできなかった。
数ある本から、彼を人間に戻す方法がないか、探す。
それが果たして本当に存在しているのか。たとえ、存在していたところで、そんなものがこんな膨大なライブラリーにある本の中から見つけられるのか、あたしには皆目見当がつかなかった。
雲を掴むような話な気がする。
それでも、そうすることしかあたしにはできないのだ。
そして、今日は、ある一冊の電子書籍を開いた。
「……『井ノ上由紀に関する全て』?」
タイトルからして、おそらく、あたしの追い求めているものとは全く関係がないだろうことは分かったが、そのタイトルは妙にあたしの気を引いた。
井ノ上由紀。
それは、今年、エルピスに入ってきた“救世主”の名であり、そして、この世界防衛機構エルピスを設立した英雄“戦場の天使”と呼ばれるものの名であった。この場合は前者ではなく、後者の英雄の方のことだろう。
発行日時を見ればそれはすぐに分かった。
どうやら300年前に発行されたものらしい。
「どうして、こんな本が……」
いや。むしろ、こんな本だから、禁書なのだ。
“戦場の天使”の全てだなんて、この組織にとって、知られては困ることだろう。
不利益中の不利益ではないか。
この組織の明も暗も全て書いてあるのだとすれば、それは、禁書の中の禁書と言っていい。
「著者は……ジェームズ・ジョーン……?」
知らない名だ。
そして、どうやら、これは個人記録らしく、本として発行されたわけではないようだ。
本当に、なんでこんなものが。
ページを開こうをしたところ、システムプロテクトが起動する。
『閲覧には、コードを入力してください』
と、エラー表示がされる。
「ひらけ、ない……?」
そんな本、置いておいてどうしたかったというのか。
しかし、あたしはやはり愚かだった。
気づいてしまったのだ。
自分にはその本が開けると言うことに。
「暗号」
自分でつぶやいた言葉に驚く。
まさか、自分がこの暗号を解読できてしまうと気付いてしまったことに。
なぜ、これを解読できてしまったかはさておき、こんなあたしが解読可能な程度の暗号でコードを残すとはいったいこの著者は何をしたかったのか。
読ませたくなくてプロテクトをかけたのではなく、この暗号を解読できる人間には読ませたかった、ということか? 読ませる人間を選別するための暗号といったところだろうか。
もしかしたら、ある人物にだけは読ませたくなく、その人物が解読できないであろう暗号を用いたといったところだろうか?
たとえ、そうだとしても、解読できる人物のところまで持っていき、解読させれば開けただろうし、そうでなくてもこのデータを破棄してしまえば……。いや、できなかったのか。この組織の闇に触れるかもしれないデータをそうやすやすと破棄できるわけがない。破棄した先で誰かに読まれたらこの組織の立場が危うくなる可能性だってあるのだ。だとすれば、禁書という形で保存しておいた方が都合がよかったのかもしれない。
またしても、危ないものに手を出しているという自覚がありながらも、そこまでして組織が、この著者が隠したかったものが気になってしまったあたしはコードを入力する。
いくら失敗し、学んでも、あたしは愚かで、まだ好奇心には勝てない子供なのだということを理解する。
たとえ、読んでもきっとばれることはない。
禁書をアジェン総長が完全に把握しているとは思えない。
大丈夫だろうと、あたしはプロテクトの解除された、データのページを手繰る。
「これは、僕の知っている井ノ上由紀という人物の記録だ。
このデータがこの世に残っているとすれば、それはすなわち僕が死んでいるということだろう。
これは、僕が死ぬ間際まで書き記す本になったに違いないからだ。」
本はそんな書き出しで始まった。
ページ数はあまりに膨大だったので、とりあえず、流すようにページを手繰る。
***
僕は、ジェームズ・ジョーンという。
世界防衛機構に身を置いて、かれこれ時間が経った。
この組織は、戦場の天使と呼ばれる人物によって突如設立され、一体どんなパイプがあったのか知らないが、各国からの支援をいただき、成り立っている。
僕は、この組織では、いわゆる一般隊員、戦闘部隊隊員として、所属している。
もともと、僕は、戦争で故郷を失い、路頭に迷っていたのだ。
そんなとき、僕を拾ってくれたのが、世で“戦場の天使”と呼ばれている井ノ上由紀と呼ばれる少女だった。
こんなことを言うものではないと思うのだけど、彼女はまさにただの少女だった。
そう、少女だったのだ。
戦場の天使? 世界防衛機構エルピスの総長? この世界を神族の侵略から守るために大きな組織を作った人間? そんなことを成し遂げたとはとても見えない、ただの幼い少女だった。
言ったら悪いが、ただの子供だ。
こんな子供が組織の長だって?
こんな子供が戦争屋だって?
とんでもない。
初めて会ったときの彼女は僕に本当に良くしてくれた。
住む場所を失い、食べるものもなかった僕らのような人間に住処を与え、食事を与えてくれた。
その代り、この組織で働いてほしいと言われたが、それに見合うだけの報酬を彼女は確かにくれたのだ。
組織にはいろんな役割があったが、自分はたまたま武器の扱いに慣れていたため、戦闘隊員への所属を申し出た。
組織で働けば、無償でこの組織に存在するものはなんでも使わせてくれた。
寝るところに困ることもなく、食べるものは満足に与えられ、休暇だってある。
確かに、神族と何度か小競り合いをし、戦闘は避けられなかったが、それでも、住むところに困らず、食べるものに困らないのであればそれほど、豊かなことはないと僕は思っていた。
僕には恋人がいた。
ミレーナと言う。
彼女もまた戦闘部隊で働いていた。
彼女は、総長の補佐であるアジェンと大変仲が良かった。
と言っても、恋人である僕を差し置いてなんてことはなかったのだが、友人として仲が良かった。
アジェンは絵を描く趣味があって、ミレーナはそれを大層気に入っていたのだ。
なんてことだ。
ミレーナが殺された。
殺された?
由紀は不幸な事故だったという。
だけれど、本当にそうなのか?
事故にしては不信な点がかなりあった。
だから、僕は、独自にこの事件について探ることにした。
彼女の死の原因を知るために。
やってしまった。
僕の裏切りがバレた。
僕が裏で情報を探っているのがバレた。
僕が裏切り者だって?
とんでもない。
裏切ったのは、エルピスだ。
こんなことを許していいわけがない。
お前らは、僕やミレーナを食い物にした。
世界を神族から守るだなんて、大嘘だ。
この組織がやっていることは神族なんかよりずっとずっと非道だ。
ミレーナや皆を殺しやがって。
お前らの罪は必ず公表してやる。
僕は逃げる計画を立てた。
もう、逃げられない。
ここまで一生懸命逃げたが、かなわなかった。
追手が来る。
本当に彼女は恐ろしい女だった。
戦場の天使?
あれは天使なんてものではない。
悪魔だ。
この世界を、この組織を利用する、とんでもない悪魔だった。
僕は間もなく、消されることだろう。
けれど、ただ消されてやるつもりはない。
だから、これを最後に記している。
例え、僕の命が尽きようとも、必ず、この記録は、残す。
やつらに読ませないようにプロテクトをかけて。
だから、これを読んだ、誰か。
頼む。僕らの無念を無駄にしないでほしい。
***
そして、記録は終わっている。
流し見ただけでも、見てはいけない文言が見えた気がした。
これはどうやら、この組織に属しながら、この組織の裏を調べ、その結果消された人物の記録のようだ。
見てはいけないもの。
それこそ、本当に禁書ではないか。
ぶわっと汗が流れてくる。
けれど、こんなものに目を通す機会は二度とないだろう。
これは、少しずつ、中を読んで、全部頭に入れておくべきだ。
あたしは、そっと、鍵のついた棚にそれをしまう。
アジェン総長いわく、禁書はあたしくらいしか閲覧をしておらず、一冊なくなったらそれだけであたしが盗んだとばれるだろうが、そもそもあたしくらいしか禁書を見ていないため、そんな大層な管理もされていなかった。
だから、たぶん、これ一冊なくなったところで、騒ぎにならない。
あたしはそれくらい、アジェン総長に信頼されているはずだという確信があった。
きっとこの本には奏を人間に戻す方法なんて載ってないだろう。
そうだとしても、本の中身次第では利用価値があるし、この組織の隠したいことを知っておくのは自分の身の安全を保つことに役立つ。
この組織には世話になっているし、別に不満を感じているわけでは全くないが、あたしはあくまであたしと奏の身を守ることを最優先事項だと考えていた。
だから、この本はきっと意味がある。
自分の身のためだ。
二度と愚かなことを繰り返さないために。
それが、身を滅ぼす危険と隣合わせであったとしても、この世において、情報を知識を制する者が強いということもあたしは知っていた。
それもまた、あたしがかつて実体験で学んだ処世術の一つだ。
親がそういう人間であった。
だからこそ、あたしはこんな組織で油を売ってられるのだ。
賢いことは組織に属する以上、不利だ。
しかし、賢くなければ、組織の裏をかくこともできない。
それをよく知るあたしは、自分のために今日も裏切りを働くのだった。
まるで、禁書の著者のように――――。
けれど、あたしは、何が何でも生き残ってやる。
奏ともう一度、笑い合えるその日のために。
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