ベットから這い出てきた殺人鬼だという赤髪の彼は、しばらくボケーっとしていたようだけど、何を思い立ったのか、子供たちの部屋へ行こうとした。
それを見て、おかしいと思ったのか、エリザベスは彼を止める。
大事な子供たちに何かされてはたまったものじゃなかったからだ。
子供部屋とかわいらしい装飾が施された扉の前に彼女は通せんぼをするように立つ。立って、初めて、彼が殺人鬼だということを忘れていたと思った。睨まれた視線は鋭い。
「……ここは貴方に関係ないでしょう」
精一杯の虚勢を張って立つエリザベスの足は不覚にも震えていた。
それに気づいたのか殺人鬼の青年はふっと馬鹿にするように笑いを漏らした。
「何がおかしいのよ」
エリザベスの言葉に堪えきれなくなったのか、青年は盛大に吹いた。そうしてから青年は深く息をつくとこう答えた。
「いや、別に。ただ、お前なら、すぐ殺せそうだなって思っただけだ」
あまりにも不躾だとエリザベスは憤慨する。束の間、部屋のどこかから持ってきたのであろうメスがエリザベスの頬を切る。
「忘れたのか。俺は殺人鬼だぜ?」
「忘れちゃいないわよ。分かったうえで匿ってあげてるんじゃない。アリスが貴方をかくまってほしいとか言わなきゃ、私だってこんなことしてないわ」
青年に負けじとエリザベスも青年を睨む。が、青年の片目の空洞と視線が合うや否やエリザベスは目を逸らした。
どうしても、その空洞を見ていたくはなかった。
目を逸らされたことに青年はメスを振り上げそうになって、やめた。
からんっと音を立てメスが床に落ちる。
こんなことをしてもアリスが泣くだけだろうと思ったからだろうか。
「……お前も、一緒だな。」
「え?」
小さな殺人鬼のつぶやきにエリザベスは聞き返してしまった。
「お前も、母さんや他の奴らと一緒だなと思っただけだ。俺に殺されたやつらと一緒だなって言ったんだよ」
怒鳴るわけでもなく、馬鹿にするわけでもなく。ただ、抑揚なく吐き出された言葉にエリザベスはどう反応するか決めかねていた。
下手に反応すればきっと自分の命が危ないだろうと考え、すぐその考えをうち消す。だったら、すでに自分は死んでいたはずだ。今、現時点で頬を切られただけですんでいるのはおそらく、彼に殺意はないからだろうと気付く。
それから、そうか、アリスかとエリザベスはため息をついた。つくづく心配をさせてくれる子だ。そんなことを想っていると「……お前馬鹿だろ」と青年の声が降ってきた。
やはり不躾だとエリザベスは再び青年の方に目を向けて絶句した。
「いつもだったら殺してやるのに。なんでだよ」
今にも泣きだしそうにそのぽっかりとあいた片目の空洞の形を歪めていた。殺人鬼だと言われる青年が、である。なんでだよの質問の真意は分からなかったが、エリザベスは答える
「私は、この子たちを守りたいだけよ。」
胸を張る。彼に気を許すのもどうかとは思いつつ、それでも彼女は胸を張った。
「そのためなら、私は命の一つや二つ差し出せるわ。でなければ、こんな診療所立てたりしないもの。奇形と人はこの子たちを……いや、私もね。私たちをそう呼ぶけど、奇形だからってあなたのようにはならなかったわ」
エリザベスはここまで言って、今度こそ、目を逸らすことなく、しっかりと彼の空洞と向き合った。
さっきの自分の行動は確かに失礼だったと思いなおす。
「たとえ、貴方が奇形でもこの部屋には入れないわ。だって、貴方は殺人鬼だもの。」
「そうだな」
意外にも殺人鬼はそれを認めると子供部屋に背を向けて、メスを拾い上げるとおとなしくベットへと戻って行った。
「はぁ……」
急に緊張が解け、ガクッと膝をつく。
「もう、ほんとやめてよね……」
ベットの彼に聞こえない程度の声でぼやく。
全く、何て拾い物をしてきたのだろう、アリスは。と心の中でまだ診療所に来ないであろう少女に文句を言った。
「殺人鬼を拾ってくるなんて、まったく、何考えてるのかしら……」
まぁ、彼女のことだから何も考えてないだろうと思い、立ち上がると、殺人鬼が何か言いたそうにこちらを見ていた。
「……何?」
「いいな、ここの子供たちは。きっと、お前がいて幸せだったと思うよ」
殺人鬼は似つかわしくない言葉と似つかわしくない微笑みを残して、窓の外へ視線を移してしまった。背けられた顔の表情は見えない。何を思って、そんなことを彼は言ったのかエリザベスには理解できなかったが、あまり間を開けてはと「そうね……」とだけ返した。そうしてから、ふと我に返って「え?」と声を漏らした。
どうやら彼には聞こえてなかったようで、エリザベスはほっとする。
そのままエリザベスは薬品棚に向かうと、おびただしい薬品の中から必要なものを
無造作に選びとって、机に置いた。
その時になって、初めて、顔が熱いことに気付く。頬を切られたせいかと思ったが、それだけではないなとエリザベスは思った。
……まさか、殺人鬼に言われた言葉がうれしいの?と頭に浮かび首を振る。違う。
あぁ、私は泣きそうなんだと体の震えで悟る。
あの殺人鬼に言いたいことはたくさんあったのに言葉にならなかった。
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