愛しの赤い薔薇の君へ

 薄暗い夜はどうしても、彼女を思い出してしまう。
 何度も何度も忘れようとした彼女を……。 

 彼女と出会ったのは、もう数えることのできないほど遠い遠い昔のこと。
 そう、数えることができないはるか昔のことだ……。
 何年たっても、きっと君のことは忘れないだろう……。いや、忘れられないと言った方が正しいだろうか……。
 僕は、あの日君に救われた。
 道端で倒れていた僕を見つけてくれた。君は薔薇のような服でとても綺麗だった。
 誰かは、薔薇の色を血の色だと言っていた。
 でも、君がその色をまとえば、薔薇の色はとても美しく見えたんだ。
 僕は君のおかげで無数の美しい世界を見れたんだと思う……。

 だけど……。

 君はいつもさみしそうに笑っていた。
 どうして?って聞いても君は教えてくれなかったけど、今ならなんとなくわかる気がする。
 君は、僕に全てを隠そうとしていたんだね……。僕が傷つかないように。君を僕が嫌わないように……。
 そんなことしなくても、僕は傷ついたりしないのに。気づいてあげられなくてごめんね。君にばかり気を遣わせて、僕は君の悩んでること、思ってること何も気づいてあげれていなかった……。
 大好きだった人間に裏切られて人間のことを信じ続けることに疲れ始めていたことも、いい子を演じ続けることに嫌気がさしていたことも、そして何よりも……子供ができていたことを。
 隠していたんだね……。僕のために。
 ほんとに、どうして気づいてあげられなかったんだろう。

 だから

 だから、罰が当たったんだね。
 200年たって、再び現れた君は、もう綺麗な赤い薔薇の君じゃなくなっていた……。
 君がまとったのは黒の色。漆黒の薔薇――。
 君は恐れるように笑って僕を見下した。そして、たぶん、それ以上に僕はこの200年で狂っていたんだと思う。
 もう、僕には君をまっすぐ見つめる勇気がないんだ……。
 散々傷つけた君を今更抱きしめる権利はないんだ……。
 僕が君を殺したあの日から――。
 なのに、200年たって君は僕の前に立った。死んだはずの君がこうして現れたのは、きっと僕を恨んでいるからなんだろう。
 僕に刃を向ける君の顔は今までにないほど殺意でいっぱいだった。
 当たり前だ。
 そんな風になってしまうまで僕が君を傷つけたんだから……。

 ごめんね。
 ネノーリア……。
 僕は結局、また君にこの剣を向ける。聖剣の中で最も凶悪で最悪な聖剣“殺”を。
 この剣は確実にこの200年僕を蝕んでいた。これからもきっと僕を蝕むだろう。
 だって、そのための剣なのだから。
 人を殺し続けるために生まれ、殺し続ける僕を戒めるための剣なのだから。
 ……この剣に魅入られた時点で僕は狂ってるんだ。
 いや、これはいい訳かな。
 僕はあの日、すべて壊れてしまえばいいと思ったんだ。この世なんてなくなってしまえばいいんだって。
 だから、ああなってしまったんだね。
 一瞬でもそう思ってしまった僕が何よりも誰よりも罪なんだ。
 これが罪なら、僕は償わねばいけないんだ……。
 君が僕を殺したいほど憎んでるならそれでいいんだ……。君の手で殺されれば、僕は許されるんだろうか。
 だけど、そんなエンディングはどうやら僕には許されないらしい。
 彼女は僕と刃を交える間際、一瞬、悲しそうに微笑んだんだ。
 そうして優しい声で、たった一言――――

 ――――さよなら。大好き。カイト。

 僕はそんな言葉を聞きたかったんじゃないんだ…。
 どうせなら、罵ってくれれば良かった。大嫌いって言ってくれれば良かったんだ。死んでくれって僕をその刃で殺してくれれば良かったのに。
 なのに!!
 なんで、君は……。
 君は……。
 どうして、そんな優しい目をして……。
 どうして……。
 どうして……。
 僕の腕に、彼女の体が崩れ落ちるのを僕はどうしても納得することができなかった。
 こんなことを望んでたんじゃないんだ。
 僕は、僕は――

 ずっと、君と生きていたかったんだ。笑っていたかったんだ……。
 ただ、それだけを本当は望んでいたんだ……。 

 腕の中で、彼女は笑う。
 漆黒をまとっていようと、その顔は赤い薔薇そのものだった。
 人は僕をカイトだから卑しくて意地汚くて残酷だと嫌ったけれど、君は決して僕を馬鹿にしたり、けなしたりしなかった。それどころか……、大好きだと。愛してると言ってくれた。
 大好きだったんだ。僕も。愛してたんだ。僕も。
 だから、そんな風に笑わないで。
 こぼれる涙は止まらない。
 消えようとする彼女の命の灯をどうにかとどまらせたくて。僕は、彼女の手をつかんだ。
 もう、この手は血でまみれてるけど。君を抱く権利すらないけれど。
 どうか許してくれるなら……。
 せめて、この言葉を――。

 ――――ネノーリア。ごめん。ごめん。許してくれなんて、言わない。
 言わないから……。だから、死なないでくれ。
 大好きなんだ。誰よりも君が大好きなんだ。
 大好きなんだ!!!――――

 僕は泣き叫ぶことしかできない。
 だって、こんなのは許されていい願いじゃないんだ。
 かなうはずもない願いなんだ。

 これは報い。

 世界を憎んで、人間を憎んですべてを壊そうとした僕への報い。
 神はそのために彼女を再び僕に会わせたんだろう。僕がもう一度この手で殺して、罪を決して忘れないように。決して許されないように。

 ――――カイト。

 君が僕の名前を小さく呼ぶ。

 ――――もう、いいんだよ。

 何が。

 ――――もう、私のために悲しがったり、泣いたりしなくていいんだよ。

 どうして。

 ――――だって、カイトはもう十分苦しんだじゃない。確かにカイトのやったことは許されないことだけど。誰よりも苦しんだじゃない。誰よりも長い時を苦しんだじゃない。だったら、もう、私のことなんて忘れていいんだよ。

 忘れてなんて簡単に言わないでくれ……。僕にとって君がどれほど大切か分かってるくせに……。

 ――――だから、これから先は、カイトの生きたいように生きてね。私の願い……、聞いてくれるよね……。

 僕はうなづいた。首を振ることなんてできなかった。
 彼女は震える手で僕の頬に触れる。

 ――――ありがとう。カイト。

 それだけを残して、彼女は……。
 赤い薔薇は……。
 静かに散り、息を引き取った。
 僕は、自分の手に握られた一本の薔薇を強く握りしめた。
 薔薇は僕の手を傷つけ、真っ赤な血を垂らす。
 薔薇は血に似ていると誰かが言った。確かにそうかもしれない。
 僕にとっては、この赤は血のように必要不可欠なものだった。

 僕は、これからも君を忘れることはできないだろう。
 でも、君が願うなら。
 僕はこれからは少しでも僕のために生きよう。
 それはきっと君が僕に課した戒めなんだろうけど。

 ありがとう。

 僕は、君を忘れたりできないけど。君の言う通り、生きるから。

 愛しの赤い薔薇の君へ

 今度出会ったときはどうか。
 笑顔で――――。

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